2020年12月31日木曜日

第50回 「故郷の田圃を潤した「市の堀用水」 栃木県保健環境センター 齋藤 康司

 今回、日本人の主食「お米」の根幹を担う田圃・農業用水という広い意味での水環境について触れてみたいと思います。  私の故郷は栃木県高根沢町で栃木県の中央部に位置します。県都である宇都宮市に隣接しておりベットタウンである一方、約6割は農地という田園地帯でもあり、農業振興地域としてお米の生産が盛んな地域です。なお、近くにはJR烏山線というローカル線が走っています。(図-1)

 町の東部を流れる「市の堀用水」は鬼怒川を取水口とし総延長約43km、受益面積約2,300haの農業用水路であり、鬼怒川河岸段丘東部の田圃を潤している重要な用水路です。(図-2) 日本三大疎水のひとつ同じ栃木県の「那須疎水」の受益面積が約4,300ha1)といわれていますので同等レベルと言っても過言ではないと思います。













図-1 高根沢町の位置










図-2 市の堀用水と田圃

そこで当時の宇都宮藩の地頭・山崎半蔵たちが水量豊かな鬼怒川からの用水路を計画、上流に位置する喜連川藩の了解を取り付け、領内から多数の人員を動員し1646(正保3)年に用水路を着工し、10年の歳月をかけて1656(明暦2)年に完成しました。これが「市の堀用水」であります。 当初は押上・上松山・下松山・狭間田・狭間田新田(現さくら市)、土室・柏崎・桑久保(現高根沢町)の8村で運営していましたが、のちに長久保新田・蒲須坂新田・箱森新田・谷中新田・根本新田(現さくら市)が加わり、大正時代には芳賀町・市貝町・真岡市まで延長され県中央部の穀倉地帯を潤す大用水路となっています。さらに1962(昭和37)年に上流部に位置する塩谷町の佐貫に新たな頭首工(取水口)を建設し水量を確保してきました。2)

ここで農業用水で維持されている田圃等の機能について触れたいと思います。農業用水路を流れる水は、農産物の土を落とし、農機具の洗浄、防火等の用水、農村環境の保全等、農村地域特有の役割を果たしているほか、最近では、農業用水の有する親水機能、環境保全機能等の多面的機能を維持・利用することが求められており、これらを水田の持つ外部経済効果として、ヘドニック法により試算しますと、その評価額は約4兆6千億円(平成6年公表)に達すると言われています。3)
 代表的な機能の一つとして洪水防止機能があります。水田は四隅を畦畔で囲まれており、上流から流れ込んできた水や、大雨の時は水を一時的に貯留し、ゆっくりと水路や河川に流出させる役割です。
 もう一つが水源かん養機能です。水田にかん水された農業用水や貯められた雨水は、徐々に地下に浸透して地下水をかん養するほか、直接河川を流下するより長い時間をかけて下流の河川に還元され、特段の浄化処理を必要としないで再び下流域で農業用水や都市用水に利用可能です。また、畑についても、表面が耕作され雨水が浸透しやすい状態に保たれることで地下水のかん養に役立っています。3)
 この一帯が穀倉地帯であり環境保全に役立っていることは市の堀用水の存在なしには語れません。その立役者である山崎半蔵については1956(昭和31)年に市の堀土地改良事務所と北高根沢村が主催して没後300年祭を施行し、高根沢町には「三百年供養塔」の碑が建てられております。(図-3)
 田圃への取水が終わる夏の終わり近くになると水路の水量が絞られます。鬼怒川から取水していることもあり、私が小学生のころは40cmくらいのコイを始めウグイ、カジカ、アブラハヤなどを三角アミで捕まえたりして遊んでいました。また、稲刈りが終れば田圃では足場が悪い中、野球やサッカーをして遊ぶなど用水路や田圃は普段の生活に密着しておりました。
 このような自然豊かな田舎町の農業用水路に触れてみたわけですが先人が残してくれた土木遺産に感謝し、将来に渡り用水路の水環境等が維持されることを願いたいものです。
















図-3 300年供養塔


参考資料
 1) 栃木県土地改良史・栃木県土地改良事業団体連合会
 2) 「市の堀」市の堀用水沿革史・石山憲三
 3) 農林水産省HP


0 件のコメント:

コメントを投稿

2024年度 日本水環境学会関東支部イベント開催のご案内 水環境分野で活躍する仲間たちの仕事や働きぶり紹介 -Web開催-

  水環境分野には様々な仕事があり、男女共に活躍している職場があります。本イベントでは、例年関東の水関連企業等を順に紹介しています。今年度は水関連分野の各業種(研究機関、国際協力、水インフラシステム、水コンサル、県行政、ウォーターエバンジェリスト)で働いている方々に、仕事内容や仕...